つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かひて、心に移りゆくよしなしごとを、そこはかとなく 書き付くれば、あやしうこそ、物狂ほしけれ」と吉田兼好が序文に書き出した「徒然草」を 「徒然想」ともじって、こころに移りゆく想いを、そこはかとなく書き綴ってみました。 つれづれ時に読んでもらえたら幸いです。

徒然想 2017

里村 盟[2017年1月 5日

 ご家族の皆様には、ご健勝で新年をお迎えなされた事と、心からお慶び申し上げますとともに、本年も健やかに、より朗らかに、生き甲斐のある豊かな年であれと願うものです。

年々に元旦淡くなりまさる

 知らず知らずのうちに幼心をどこかに遠く置き忘れ、日常の雑事に追われて、行く年への感慨も、新しい年への喜びや期待も薄れて行くという、私流の解釈をもって、心の戒めとしている句の一つです。

忙しすぎる事は、自分を振り返る時間もなく、心が荒む事の警鐘として、心したいものです。

今年の干支は酉(とり)です。
日本が経済大国で、羨ましがられた頃、皮肉交じりに、日本の住居の水準を「"鳥"小屋のように狭い」と称した外国人の言葉が流行った時があった。

 自分の国がどう見られ、どう評価されているかを気にして、外国人の筆や言に一喜一憂するのは、どうやら日本人の特徴かもしれない。

 外国人から見ると、日本の文化は「縮む」が特徴らしい。
「能」は動きを縮めた美学、「庭園」は自然の縮景、「茶室」は遠く離れた山里を縮めた空間と説き、トランジスター、半導体、電卓などを挙げている。

 日本のおとぎ話の代表の一つに「一寸法師」があり、石川啄木の歌「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」の例を挙げて、広々とした東海が小島に縮まり、小島はさらに磯、そして白浜となり、ついには蟹の甲羅にまで凝縮される話法は、日本独自の様式のように思われている。

 外国人から見ると、日本人は縮みの空間である「内」に強いが、広がりのある「外」に弱いと思われているふしがある。

 昨今の貿易摩擦や内需拡大までに話を勧めたいのであろう。
今の日本は、大地に移した盆栽そのもの、と思われているのであろう。
なかなか手厳しいものである。

 年の初めにあたり、世間を広く見て、自分自身の私利私欲にながされる事なく、のびのびと生きる事を切望します。
追伸、今年の春、日本を代表する縮芸術「盆栽」の世界大会が地元の盆栽村が主催で開催されます。
多くの外国人が来訪し、「盆栽」を目のあたりにして「縮文化」の魅力を堪能し、その魅力を確認してもらい、成功裏に終わる事を切望します。

Copyright (c) 2008 SATOMURA CLINIC. All Rights Reserved.