つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かひて、心に移りゆくよしなしごとを、そこはかとなく 書き付くれば、あやしうこそ、物狂ほしけれ」と吉田兼好が序文に書き出した「徒然草」を 「徒然想」ともじって、こころに移りゆく想いを、そこはかとなく書き綴ってみました。 つれづれ時に読んでもらえたら幸いです。

ひたぶるに 咲かねば枯れ木 寒桜

里村 盟[2017年2月 6日
 ひっそりと寒桜が咲いている。

色も淡く、花も少ない、しかし、一生懸命に咲いている。

今、咲かなければ、枯れ木と何の違いもない。

生きている証に、精一杯、冷たい風の中に建気に咲いている。

見ているほどに、切なく身につまされる思いを込めて詠んだ好きな句の一つである。

 1月は「行く」、2月は「逃げる」、3月は「去る」と言って、

年明けの3ヶ月はあっという間に過ぎ去って行くのであろう。

 ところで、初春を思わせる花といえば、椿であろう。

凛と澄み切った空気の中、整然とした部屋の片隅に置かれた一輪の

椿ほどふさわしい花があろうか。つややかな緑の葉の間から、

のぞかせるふくよかな花こそは、冬のただ中への天からの贈り物に違いない。

しかし、この花が音を立てて地面に落ちる散り際が、あまりにも、いさぎよいゆえ、

忌み嫌われる向きもあるようだ。けれど、これこそ花の命。

へなへなと茎にまつわりついて、未練ぽく枯れていく花々に比べて、

これぞ厳冬に咲く花であろう。

 ところで、椿の花の別名は実にさまざまである。

耐冬花(たいとうか)、海石榴(かいせきりゅう)、厚葉木(あつばき)

艶葉木(つやばき)、そしてもう一つ、血吐き(つばき)という名の由来がある。

昔々、極楽浄土へ行く道に、どうしても越さねばならぬ血の池があった。

阿弥陀さまはその池に身を沈め、一滴残さず飲み干すと、

その血を天と地に吐き出された。

それが天の血は夕焼けとなり、地の血は椿の花になったという、

ありがたくも美しい仏教説語の一席であります。                   里村 盟
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