徒然想 第三回
関東ではソメイヨシノの桜の満開の時期が去るも、種々の花たちが、
次々と出番を待っている時候になった。
ところで、アヤメとカキツバタの区別がつかない。
アヤメは山地の草野を好み、カキツバタは池や畦(あぜ)、つまり水湿地に生える。
葉の幅はカキツバタの方が広くて中央に走る線が無い。
花はどうかと言うに、カキツバタは花の付け根のところから薄黄色の線があるのに対して、アヤメは虎の班のような模様がある。と言われてもまだ分から無い。
もう一つ、ややこしい花にハナショウブがある。困ったものだ!
カキツバタは、在原業平が、「伊勢物語」の中で、三河国で詠んだ歌の頭五文字から採られた名という言われがある。
から衣、きつつなれにし妻(つま)しあれば はるばる来ぬる旅(たび)をしぞ思ふ
俗に言う「いずれ、アヤメ、カキツバタ」と言う、優劣つけかたい美しさで、水の多い季節を彩ってくれる花々だ。
ところで、人にも大きく分けて二種類の型がある。
「犬型」と「猫型」の二種類である。
ペットとして、どちらが好みかという問題では無い。
人々は「犬的な生き方」か「猫的な生き方」をしていて、そこが面白い。
そこで又、この二種類は「タレント」と「役者」とに分かれる。犬はタレントであって、猫は役者である。タレントは「何でもやる人」の意味であり、何でもやってしまうものだから、忙しくて周りを変える事は出来ない。
これは、まさに犬のようなものである。 犬は何でもやる。お手、お座り、待て、しっぽも振るし留守番も、犯人捜しも、サーカスの芸までやる。しかし、人に忠実と言うだけで、便利屋さんで終わっている感じがする。
これに反して猫は、犬がやるようなことは一切しない。
何をやっているかと言うと、大体、一日、ほとんど眠っているか、じっとしている。だけど、いったん眼を覚ますと、例えば、家の主人の食事のおかずの魚など油断に乗じて取ってしまう。その結果、この猫は叱られる事になるが、晩のおかずも消えてしまった事になる。これはその在り方が、大変に役者的である。役者はタレントの「何でもする人」」に対して、「何かをする人」の意味で、その何かをやった結果、自分も周りも変えてしまう事を言うのである。
周りの意見に左右され、比較的、主体性が乏しく、終始便利屋である「何でも」の犬型であるより、「何かを」の猫型のような生き方をしたいと思う。
里村 盟