ひたぶるに 咲かねば枯れ木 寒桜 徒然想 第二回
ひっそりと寒桜が咲いている。
色も淡く、花も少ない、しかし、一生懸命に咲いている。
今、咲かなければ、枯れ木と何の違いもない。
生きている証に、精一杯、冷たい風の中に建気に咲いている。
見ているほどに、切なく身につまされる思いを込めて詠んだ好きな句の一つである。
1月は「行く」、2月は「逃げる」、3月は「去る」と言って、
年明けの3ヶ月はあっという間に過ぎ去って行くのであろう。
ところで、初春を思わせる花といえば、椿であろう。
凛と澄み切った空気の中、整然とした部屋の片隅に置かれた一輪の
椿ほどふさわしい花があろうか。つややかな緑の葉の間から、
のぞかせるふくよかな花こそは、冬のただ中への天からの贈り物に違いない。
しかし、この花が音を立てて地面に落ちる散り際が、あまりにも、いさぎよいゆえ、
忌み嫌われる向きもあるようだ。けれど、これこそ花の命。
へなへなと茎にまつわりついて、未練ぽく枯れていく花々に比べて、
これぞ厳冬に咲く花であろう。
ところで、椿の花の別名は実にさまざまである。
耐冬花(たいとうか)、海石榴(かいせきりゅう)、厚葉木(あつばき)
艶葉木(つやばき)、そしてもう一つ、血吐き(つばき)という名の由来がある。
昔々、極楽浄土へ行く道に、どうしても越さねばならぬ血の池があった。
阿弥陀さまはその池に身を沈め、一滴残さず飲み干すと、
その血を天と地に吐き出された。
それが天の血は夕焼けとなり、地の血は椿の花になったという、
ありがたくも美しい仏教説語の一席であります。
里村 盟